(重厚で艶やかなウッドキャビネットに収められた、エルウィン・サトラーの精密振り子クロック。その奥で、静かに、そして狂いなく往復運動を繰り返す真鍮製の振り子が、部屋の柔らかな照明を浴びて琥珀色に輝いている。まるで時間の流れそのものが彫刻となって、そこに佇んでいるかのような、静謐で圧倒的に美しい写真)

皆様,こんにちは。シェルマンでございます。秋の夜長、いかがお過ごしでしょうか。 10月に訪れる特別なイベントを、五感で120%楽しんでいただくための知的時間旅行。本日からいよいよ、本格的な歴史の旅のスタートでございます。

さて、時計がお好きな皆様なら、「クロノグラフ」や「クロノメーター」といった言葉を、一度は耳にされた、あるいは日常的に使われているかと思います。この「クロノ」という言葉。実は、ギリシャ神話に登場する「時の神様・クロノス」の名前が語源なのですが、この神様、ローマ神話では「サトゥルヌス」と呼ばれております。 ……そう、英語で土星を意味する「Saturn(土星)」の語源となった神様なんですね。かつての人類にとって、時間とはまさに「星の動き」そのものであり、土星は「時を司る、最も重厚で神聖な星」とされていました。

というわけで、時と宇宙をめぐる第1話は、この「時の星」のささやかな小話をマクラにいたしまして、今から約700年前、1300年代の中世ヨーロッパへとタイムスリップしてみたいと思います。

▍最初の時計は、時間を知るための道具ではなかった?

皆様、もし「人類が最初に作った機械式時計って、どんな形だったと思う?」と聞かれたら、どのような姿を想像されるでしょうか。「そりゃあ、机に置く目覚まし時計みたいなやつじゃないの?」とか、「いやいや、懐中時計の先祖みたいなものでしょう」と思われるかもしれません。実は、人類が最初に作った機械式時計は、腕に巻くものでも、机に置くものでもありませんでした。街を見下ろす教会の高い塔に据え付けられた、巨大な「塔時計」だったのです。

当時のヨーロッパの街並みを想像してみてください。高い建物など何もない平原に、ポツンと教会の尖塔が立っています。そこに据え付けられた巨大な金属の歯車たちが、重りの力で「ガチャン、ガチャン」とものすごい音を立てて回り始める。 人々は、その圧倒的な存在感と、鐘の音によって、初めて「時」を意識するようになったわけです。今で言う、街全体の巨大なシステムのようなものですね。正式に言えば、当時の人々は、「待ち合わせに遅れちゃうから、現在の正確な時間が知りたい!」 と思って時計を作ったわけでは、実はなかったのです。

「えっ、時間を知るためじゃないなら、一体何のためにそんな大がかりな機械を作ったの?」

そう思われますよね。私も最初は「時計なんだから時間に決まっているだろう」と思っておりました。しかし、当時の人々の情熱は、私たちの想像を遥かに超えるロマンチックな方向を向いていたのです。

その象徴が、14世紀のイタリアで医師であり時計師ジョバンニ・デ・ドンディが作り上げた、『アストラリウム(Astrarium)』と呼ばれる伝説の天文時計です。これは塔の上ではなく、王侯貴族の書斎や広間に置くために、手作業で精緻に削り出された、室内用の超複雑な天文時計でした。 驚くべきことに、この機械、時間を示す針よりも、太陽や月、そして当時知られていた惑星たちが、今どこを飛んでいるかを示す「星座盤」の目盛りの方が、圧倒的に大きく、美しく、主役として作られていたのです。

つまり、当時の人々にとって、時計を作るということは、単に時間を計ることではありませんでした。 それは、「神様が創り出した、この完璧で美しい『宇宙の秩序(ルール)』を、そっくりそのまま地上に、人間の手仕事(歯車)で再現すること」そのものだったのです。時計の誕生は、実用のためではなく、「宇宙への憧れ」という、至高の知的好奇心から始まった「芸術」だったんですね。

なお、ジョバンニ・デ・ドンディが作り上げたこの『アストラリウム』は、残念ながらオリジナルこそ現存していませんが、彼が残した極めて詳細な設計図をもとに現代、精密なレプリカが製作されました。現在では、時計づくりの聖地であるスイスのラ・ショー=ド=フォンにある「国際時計博物館(Musée international d'horlogerie)」をはじめ、世界中のいくつかの博物館で『機械式時計の偉大なるはじまり』として紹介され、多くの人々を魅了し続けています。

▍大聖堂の小宇宙が、あなたのリビングへ

それから数百年。 かつて巨大な塔や、王族の広間にしかなかった「地上に再現された小宇宙」は、技術の進歩とともに、美しく、そして静かに、現代の私たちのリビングを飾るクロックへと昇華されました。

その最高峰に君臨するのが、ドイツ・ミュンヘンに工房を構える『エルウィン・サトラー(Erwin Sattler)』です。

一目見た瞬間に、言葉を失います。 一切の無駄を削ぎ落とした、美しく、凛とした佇まい。完璧な鏡面に磨き上げられたフレーム。そして、そのガラスケースの中で、1秒、また1秒と、まるで呼吸をするかのように静かに、悠然と往復運動を繰り返す、長くて重厚な「振り子」。かつて中世の人々が教会の塔時計やドンディのアストラリウムを見上げて「神の秩序」を感じたように、私たちは、このサトラーのクロックが刻む完璧な等時性の中に、地球の重力、すなわち「宇宙の絶対的な物理法則」を、視覚的に、そして官能的に感じ取ることができるのです。

また、同じくドイツの伝統を受け継ぐ『ヘルムレ(HERMLE)』のクロックも、私たちの感性を激しく揺さぶります。 このクロックの上部には、驚くべきことに、精緻な「天体運行儀(テルリウム)」が搭載されています。そこでは、太陽を中心に、地球と月のリアルタイムの動きが正確に表示される仕組みになっています。 さらに、カチ、カチ、というメカニカルな心地よさに加え、澄んだ音色で時を告げるチャイムの響き。それ自体が、空間の空気感を一瞬で「最高に贅沢な時間」へと変えてしまう、生きたインテリアとしての美しさを持っています。

スマートフォンという情報端末(Information Terminal)を見れば、いつでも1秒の狂いもない時間が手に入る現代。 そんな時代に、あえてリビングに置く振り子時計は、単に「遅れずに動く実用品」ではありません。それは、忙しい日常の中で、 「ああ、世界は今も、こんなに美しい物理のルールで動いているんだな」 と、ふと拘りを捨て、心を整えるための、極上のアート(芸術)なのでございます。

▍振り子の音が紡ぐ、家族のあたたかい記憶

さて、ここでもう一つ、少しあたたかいお話をさせてください。

この美しいクロックを眺めていると、人によってまったく異なる魅力を見出すのが実に面白いところです。

例えば、このエルウィン・サトラーの、一分の隙もないメカニズムの完成度や、フレームと重錘(おもり)の重厚な佇まいに、男のロマンやハードウェアとしての「完璧なモノ」への強い敬意、そして憧れを抱く方がいらっしゃいます。 その一方で、そこから流れる静かなチクタクという音、その時計がそこにあるだけで部屋全体がなんだかあたたかく、懐かしい空気感に包まれるという「ゆったりとした体験(コト)」に、深く共感される方もいらっしゃいます。

もし、ご自宅のリビングに、この美しいクロックがあったなら。ある人はその完璧な職人技や、重力と等時性をめぐる科学のロマンを誇らしく語り、 またある人はその音が奏でる「ゆったりとした時間の流れ」を愛おしく、心地よく感じる。それは、お互いの異なる感性や価値観を認め合い、世代を超えた対話を優しく繋ぐ、最高の「コミュニケーションの架け橋」になるのではないでしょうか。

そして、長い歳月が流れ、いつの日か家族がそれぞれの道を歩むようになっても、ふとしたリビングの静寂の中で思い出すのは、かつてあの場所でずっと響き続けていた、あのあたたかい「振り子の音」だったりします。 「ああ、あの時計の振り子をぼんやりと眺めながら、時間を忘れていろんな話をしたな」と。

これこそが、情報端末(Information Terminal)には絶対に「記録(レコード)」されることのない、機械式クロックという美しい道具だけが紡ぎ出すことのできる、「一生モノの記憶(メモリー)」なのです。

シェルマンが、皆様に時計を通して手渡したいもの。 それは、時間を守るための焦りではなく、こうした「人生の愛おしい記憶のスイッチ」なのです。

▍次回予告:物理をアートに昇華させた、テンプの鼓動

さて、教会の塔時計から始まり、リビングの振り子時計へと至った「宇宙の秩序」の再現。 しかし、人類の知的好奇心は、ここで立ち止まりませんでした。

「この美しい物理のルールを、なんとかして、ポケットに入れて持ち運べるサイズにできないだろうか?」

この無謀とも言える挑戦に立ち上がったのが、17世紀、オランダが生んだ偉大な天才科学者、クリスティアン・ホイヘンスでした。 そしてその魂は今、世界中の時計師たちへと受け継がれています。

次回、【第2話】宇宙の調和(レゾナンス)を視覚化する ── 物理をアートに昇華させた、2つのテンプの奇跡。

知性と科学の神の名を冠する星「水星(Mercury)」の小話をマクラに、腕時計の内部で巻き起こる、息を呑むほど美しい「物理とアートの融合」をご紹介いたします。

どうぞ、お楽しみに。

シェルマンでした。

シェルマンオフィシャルサイト

1971年にアンティークショップとして創業したシェルマンは、パテック・フィリップをはじめとしたアンティークウォッチの名品の数々や美術工芸品ともいえるアンティークジュエリーを中心に展開してまいりました。
そして現在は、大手メゾンに属さず時計づくりに励む独立時計師のユニークな作品、独自の信念やこだわりを持って製作される現行ブランドの時計、複雑機構を搭載したクォーツ式のオリジナルウォッチの開発・製作など、アンティークの枠を越え、時代や流行を越えて受け継がれる名品をコンセプトに、幅広いジャンルの作品を取り扱っています