(アーミン・シュトロームの「ミラード・フォース・レゾナンス」の拡大動画。精密にカッティングされた左右対称の「オープンワーク」のムーブメントの中で、二つのテンプが、目に見えない糸で結ばれたかのように、狂いなくシンクロして激しく鼓動を打っている。金属の表面を美しく滑り落ちるライティングが、その数学的に完璧な立体美を際立たせる、近未来的な美しさに満ちた映像からスタートします)

皆様, こんにちは。シェルマンでございます。

前回は「時計の起源は、時間を知るためではなく、宇宙の美しき秩序を地上に再現することだった」という、ロマンあふれる歴史の旅をご一緒いたしました。

今回は、その宇宙のルールをポケットサイズに縮小するための、「科学革命」の真っ只中へと皆様をご案内いたします。

本日の旅の水先案内星は、太陽に最も近い場所を、太陽系一のハイスピードで公転している星「水星(Mercury)」でございます。 ローマ神話では、知性と科学、そして伝令を司る俊足の神様「メルクリウス(ギリシャ神話のヘルメス)」の名を冠するこの星。まさに、人類の知的好奇心が急加速し、近代科学の扉が開かれた「17世紀の科学革命」を象徴する星です。

「物理や数学」と聞くだけで、蕁麻疹が出そうだという方もいらっしゃるかもしれませんが、どうぞご安心ください。今日目にするのは、計算式ではなく、ため息が出るほど美しい「物理のアート」です。

▍土星の環を暴いた男が、光のなかに「波」を見た

タイムスリップする先は、17世紀のオランダ。 ここで、時計の歴史、ひいては人類の科学史において絶対に避けては通れない、一人の大天才が登場いたします。 その名も、クリスティアン・ホイヘンス。実はホイヘンス、時計の歴史においては「腕時計の心臓部である『ひげゼンマイ』を発明した、等時性の父」として知られていますが、彼の凄さはそれだけにとどまりません。

前回、時の神様の星としてご紹介した、あの美しいリングを持つ「土星」。 かつての人々にとって、土星は「左右に妙な耳がついた星」だと思われていました。その耳の正体が、実は本体から独立した美しい「環(リング)」であることを世界で初めて突き止めたのが、何を隠そう、このホイヘンスだったのです。

さらに彼は、光の正体を「目に見えない微細な波の振動である」とする「光の波動説」を唱えたことでも有名です。面白いことに、ホイヘンスがオランダで「光は波である」と物理的に証明しようとしていたまさにその頃、彼のすぐ近くでは、あのフェルメールやレンブラントといった大画家たちが、キャンバスの上に「差し込む光の波」を、魔法のような絵の具のタッチで描き出していました。 片や科学の力で、片や芸術の力で、同じ「光の美しさ」を追い求めていた。17世紀のオランダは、まさに知性と感性がスパークした「光の世紀」だったのですね。

ちなみに、少し日本の歴史にも目を向けてみましょう。この時代、日本は江戸時代の真っ只中。いわゆる「鎖国」の壁を築き、世界に対して窓を閉ざしていた頃です。ですが、その日本が、ヨーロッパで唯一、交易の窓口を開き続けていた国こそが、何を隠そう、この大躍動の時代を迎えていたオランダだったのでございます。 長崎の出島を通じて、当時の日本の学者や権力者たちは、躍動するオランダから届く「蘭学(西洋の科学技術)」という最新の知を、驚きと憧れをもって貪欲に吸収していました。もしかしたら、このホイヘンスが解き明かした宇宙や科学の光も、暗闇を照らす一筋の灯火のように、かすかに出島へと届いていたのかもしれません。そう思うと、遠いオランダの物語が、急に私たちの歴史とも重なり合って、あたたかい温度を帯びてくるような気がいたします。

ちなみにこのレンブラント、実はクリスティアン・ホイヘンスの父であり、当時のオランダ総督の秘書官・外交官として絶大な力を持っていたコンスタンティン・ホイヘンスに見出された画家でもあります。父コンスタンティンは、若きレンブラントの類稀なる才能をいち早く絶賛し、宮廷への橋渡しをしたり、ホイヘンス家の複数の肖像画を依頼したりした、彼にとって最重要とも言えるパトロンだったのです。大科学者ホイヘンスを育んだ家庭と、光の画家レンブラント。ここにも、歴史の美しい光の糸が結ばれています。

そして、この「光の波動」を愛したホイヘンスが、ある日、時計の実験中に「奇妙な現象」を発見いたします。部屋の梁(はり)から2つの振り子時計を吊り下げておいたところ、最初はバラバラに動いていたはずの2つの振り子が、時間が経つと、まるで打ち合わせでもしたかのように、完全に同じタイミングで、鏡のように対称にシンクロして揺れ始めたのです。

これが、物理学における「共振(レゾナンス)」現象の、世界で最初の発見でした。

▍中身を隠さない、最初からすべてを見せるという芸術

ホイヘンスが発見した「共振(レゾナンス)」や「等時性の追求」という物理の真理。 この「目に見えない波の調和」を、現代の腕時計の上で、圧倒的な美しさとして視覚化したブランドが存在します。

それが、スイス・ビエンヌにアトリエを構えるマニュファクチュール、『アーミン・シュトローム(ARMIN STROM)』です。

アーミン・シュトロームの時計を一目見て、誰もが「かっこいい……!」と声を漏らすのは、その文字盤が「オープンワーク(スケルトン)」になっているからです。一般的に、時計の文字盤というのは「メカニズムを隠す蓋」のような役割を果たしてきました。しかし、彼らは違います。 「物理と数学が紡ぎ出す歯車のレイアウトこそが、世界で最も美しいアートなのだ」 と言わんばかりに、彼らは時計の心臓部をはじめからすべて、美しく露出させているのです。

その削り出されたブリッジやギアの配置はコンマ数ミリ単位で計算し尽くされており、まるで近代建築の鉄骨美や、現代アートのオブジェを眺めているかのような、とてつもなくスタイリッシュな佇まいを放っています。

▍物理法則を、数学的にアートへ昇華させる

彼らの、物理への執念を物語る2つの傑作をご紹介いたしましょう。

まず一つ目が、『グラヴィティ・イクォール・フォース(Gravity Equal Force)』です。

ゼンマイが解けるにつれて力が弱まるという、時計づくりの永遠の課題。この「力のムラ」を解決するため、彼らはゼンマイから伝わる力を常に均等(イクォール)にする「等力伝達機構」を、腕時計の極小スペースに搭載してしまいました。



さらにその究極形として登場したのが、ベゼル上で日付を示す、驚くほど革新的なコラム式デイトを持つ『オービット(Orbit)』です。 一寸の狂いもない完璧な運針を見つめていると、そこには力学の法則を完全にコントロールした、数学的な美しさが満ちていることに気づかされます。

そして、もう一つの究極が、ホイヘンスの発見した現象を腕時計に封じ込めた金字塔、『レゾナンス(Resonance)』です。

文字盤の左右に、2つの独立した「テンプ(心臓部)」が配置されています。もちろん、電気的な繋がりは一切ありません。 この2つのテンプを、アーミン・シュトロームが独自に開発した、極めて複雑で美しい曲線を持つ「クラッチスプリング」で接続します。すると、最初はバラバラに動いていた2つのテンプが、クラッチスプリングを通じてお互いの微細な「振動の波」を伝え合い、やがて完全にシンクロして、美しく、等しく鼓動を打ち始めるのです。

これは単なる「見栄えのギミック」ではありません。片方が遅れそうになると、もう片方がそれを引っ張り、お互いの誤差を打ち消し合って究極の精度を保ち続けるという、物理の真理を極限まで利用したシステムなのです。

時計の中に、目に見えない「波の調和」が生まれ、2つのテンプが完璧な対称のダンスを踊る。 この『レゾナンス』のオープンワークをルーペで覗き込んだ瞬間、私たちは、17世紀にホイヘンスが物理の海に見いだし、フェルメールが光の中に描いた、あの「目に見えない美しい調和」が、自分の腕元でチクタクと音を立てて生きていることに、激しい感動を覚えるのです。

 

▍次回予告:大航海時代、命を守る「実用」の極致へ
物理を極め、完璧なアートとして視覚化した、アーミン・シュトロームの美しき歯車たち。 しかし、人類が等時性を追い求めた背景には、もう一つ、美しさとは全く異なる「血の滲むような現実」がありました。

それは、大航海時代。 海の真ん中で、自分が今どこにいるのかを知る術を持たなかった船乗りたちにとって、「1秒の狂い」は、そのまま「難破と死」を意味していたのです。国家の威信と、男たちの命をかけた、究極の精密実用時計の開発レース。 そのドイツにおける伝統を、頑固なまでの精度美で受け継ぐブランドが登場します。

次回、【第3話】荒波を越える「海洋時計」の系譜 ── ドイツの質実剛健と、削ぎ落とされた精度美。

太陽系最大の大きさを誇り、かつて大海原の航海士たちが夜空で見上げた守護の星「木星(Jupiter)」の小話をマクラに、質実剛健なドイツ・ヴェンペの「用の美」の神髄に迫ります。

どうぞ、お楽しみに。

シェルマンでした。

シェルマンオフィシャルサイト

1971年にアンティークショップとして創業したシェルマンは、パテック・フィリップをはじめとしたアンティークウォッチの名品の数々や美術工芸品ともいえるアンティークジュエリーを中心に展開してまいりました。
そして現在は、大手メゾンに属さず時計づくりに励む独立時計師のユニークな作品、独自の信念やこだわりを持って製作される現行ブランドの時計、複雑機構を搭載したクォーツ式のオリジナルウォッチの開発・製作など、アンティークの枠を越え、時代や流行を越えて受け継がれる名品をコンセプトに、幅広いジャンルの作品を取り扱っています